無農薬 米粉
青刈りした稲の葉を乾燥させて炒って茶にして飲んでみた。
マコモの葉も炒った。
黒米も炒ってみて煮出して飲んでみた。
でかいボウル一杯の黒ゴマを炒って搾油器で油を採った。
というわけでずっと台所に居ました。
でもコーヒーも飲みたくなって煎れてしまった。コーヒー豆だけは栽培できません。あとカカオも。ちょっと悔しい。。
昨日スーパーで野菜の値段をゆっくり見てみました。随分お高くなっていますね。。。これではやりくりも健康管理も大変だ、と思いました。
そこで、ヒフミヨイ農園で米や野菜を一緒に作りませんか?
と思うわけですけどね。食の問題はけっこう切実なとこまで来ているように思えるのですが。。。
ウチの米粉を使って色々なお店など料理人の方々がレシピを開発してくださっていて有り難いです。黒米粉を使った黒いシフォンケーキとか。
黒いモノって健康に良いとされるものが多いですね。もうすぐ黒小豆が採れるし、黒い菁も種蒔きしようかというところです。
私なんかはもう慣れきっていますが黒い米というのは馴染みが無かったり抵抗を感じる人も少なくないようで。実際は白米に混ぜて炊くと赤飯のような赤い色が出るんですが。
私は黒米とシシ肉とニンニクとパースニップなどを炊き込んでよく食べています。料理名は名付けて
『ブラック・サバス』
ややブラックジョーク的な命名ですけど。
雑草の効能
雑草の効能
台風から一夜明けて田畑を見回りました。通常の稲より1,5倍ほど背の高いジャスミンライスや古代もち米をはじめ稲は全種類倒伏を免れました。黒米は何事も無かったがごとく直立。
ヒフミヨイ農園ではその強さを理由に古代米を多く育てています。ワイフ(笑)の留守中、面倒くさがりの私は黒米だけで炊いて食べます。余談ですが今日新たに発見したのは、ウチの黒米はチャーハンに適しているということでした。フライパンにかけていても焦げ付かない!これはめんどくさくない!てなもんで。もちろん米の味も美味しいですよ。
ウチの黒米を食べ始めて身体の調子が良いという話もちらほら伺います。
黒米にはアントシアニンが豊富だそうです。
主食に黒米オススメです。ん~語呂もいいような気がする。
シュショクニクロゴメオススメデス
そういえば(大幅に話飛ぶ)、
「相似象」と「シリウス革命」を交互に読むと非常にオモシロイと感じています。栽培実験に反映できるとより良いと思っています。
炭素埋設と変形畝については効果がより明らかでした。炭素埋設については自宅でも実験し、効果を実感しています。
はい。戻りまして雑草の効能でございます。鉄骨の立て看板がグニャリと曲がる強風の中、畦の大豆はヒエなどの雑草に守られ無事でした。これも雑草のおかげです。
秋冬野菜の若芽も背丈を低く刈った雑草のおかげで風雨に耐えました。雨で跳ね返った土で若芽が泥まみれになることも有りません。上手く給水できたくらいの感じです。
玉葱だけは除草した苗床で育苗中です。今年は竹を切り出す時間が無く竹マルチは実施せず。玉葱のように初期除草した方が良いものには苗の列の脇の地面を割竹で被覆しておくと楽だと思います。それに使うのが竹マルチです。マルチではなく竹を畝長辺方向に並列させていくだけですけど。
雑草を毛嫌いするより味方にした方が結果的に自分が楽だと思いますね。
たしかに雑草まで管理するのは農家さんには難しいことかもしれませんね。なくした方が楽かもしれません。
色んな物事を、なくした方が楽、
を続けた現代社会の在りようは今自分が見てるそのままですよね。
最終的な結果として自分達にとってどうなのでしょうか。
コナギ 味
いわゆる雑草食や虫食がクローズアップされてきたのも何か大きな流れの一部のような気がします。
雑草の薬効の高さも注目を浴びつつありますね。雑草を食すあるいは薬として用いる研究が進めば、私達の食も変わるのではないでしょうか。
また一部では不食の人も出てきています。これも私達の食の在り方の変化なのでしょう。
野菜の質も昔とは変わったと言われます。これも次の段階に向かう表れかもしれません。
自分は強健な雑草を年がら年中見ていると、自分が育てている野菜の栽培行為について色々考える所があります。例えばコナギなんてのはほっといても毎年旺盛に育つわけですが一方野菜はというと今年のような酷暑だと特に保護が必要です。そこでより生命力の強いものを食べようと思っての今年のコナギ食だったのですが、まあ味はほぼ無いですね。雑草臭くもない。こういう野菜だと言われたら抵抗は感じないでしょう。来年も夏の葉ものはこれでいいんじゃない?って感じで。
雑草の生命力を上手く引き出して人間生活に役立てるようになれば、世の人の雑草に対するマイナスイメージも変わるでしょう。その時、「草は敵!!」という意識も消えるかもしれません。
その「対立を作り出す意識」こそ私達の抱える問題だと思うのです。それはいわば「自己と他者」の問題だと思いますが。
コナギを食べる
水田雑草のコナギ、食べてみました。調べたところ栄養価も高いそう。
農薬を使用していない田んぼなのでセリも食べられます。
ウチではマコモダケの採れるマコモやクワイも稲と一緒に生やしていて(育てるというより植え付け翌年からは勝手に生える)、稲以外にも食べ物を採れる田んぼにしています。水温の低そうな場所で好物のジュンサイも育ててみたいが無理かしら。
ドジョウなどの魚を繁殖させようともしていて、いずれちょっとした漁場にもなればいいなあと思ってます。虫も沢山居るので水鳥も多くやってきます。
畑でもそうなのですが、沢山の生き物が居て、その中に自分も居るのが「好き」なんですね。栽培よりむしろそのために農薬を使ってないとも言えます。なのでいつまで経っても優秀な栽培者にはなれないのでしょうね。
長久手 自然農
畑地での除草について。
ここ数年は田んぼが忙しすぎて畑の管理が全然できてないので偉そうなことは言えませんが、私達の理想としては
「選択的除草」
を行いたいと思っています。
今年のような殺人的暑さの中では、雑草の無い畑では水やりに追われる人達をよく見かけました。
そんな中、草を生やした私達の畑で生き残った野菜達を見せたかった、、、のですが作付け自体できていない所だらけでそういう事にはなりませんでした。
しかし「草があったほうがええな」と思った人も居なくはなかったでしょう。雑草は土地の乾燥を防ぎます。
作物の成長を阻害しない程度に雑草を管理すれば労力も軽減できます。
「雑草は作物の栄養を取る」
これは本当でしょうか?草むらの中でこぼれ種から出た野菜が大きく育っているのを見るとそうは思えません。
栽培作物が草に負ける、のまれることは有りますが、「栄養を取られている」とは思えません。実際に施した肥料から作物が吸い上げている肥料分は僅かであるという科学的なデ-タもあります。
ここでも「草嫌い」の問題が関係してくると思いますし、取った取られたというのは人間側の感情移入に過ぎないでしょう。「人間と同じで栄養を与えないと大きくならん」というのもよく聞きますが、人間と同じと言うならばろくに身体も動かさず飽食のかぎりを尽くして身体だけ大きくなった人間は健康的と言えるでしょうか?
まあこれも消費者ニ-ズに合わせた結果でもあり、社会全体の問題といえましょう。
除草の話に戻りましょう。アンチ自然農の意見も分かるには分かります。
プロではない人には自然農を放任・放置栽培だと勘違いしている人も多いからです。雑草を「管理」できていないのです。隣接したよその畑との境界だけはしっかり刈ることは最低限必要だと思います。ウチもここ数年はきちんとできてないので申し訳なく思っているし、作付けもできてないので非常に残念なことになっていますが。これでは周りに悪い印象を与えます。人手さえあれば美しい畑にできるのに。。。泣き言ですね(笑)。
叙情的な態度で自然農を始めたはいいが実際はそれほど畑にも向き合わず結果として作物も育たず無責任に放置、フェイドアウト、みたいな人も少なくはないんですよね。毎日汗水流してる農家さんからはそりゃ冷視されますわね。
「草はあるけど野菜は元気に育っとるな」
こういう印象を与えないといけないと思います。でないとずっと草刈れ草刈れ言われますよ私みたいに(泣)。
…まとまらない。雑草の価値としては以下のようなことが挙げられます。
・土壌の乾燥を防ぐ
・微生物の住み処になる
・害虫を捕食する虫や小動物の住み処になる
・刈った草、枯れた草は土に還り有機物、肥料分になる。人為的に発酵などさせ肥料も作れる
・野菜が見えにくくなり鳥害を防ぐ
デメリットは
・管理していないと作物の成長を阻害する
・「草嫌い」の人に悪印象を与える。
後者が最も大変ですが栽培自体と全く関係無いですね。
人間が一番難しいです。
長久手 市民農園
さて、除草のことを書きましたが農家がやむを得ず或は考え無しに使用するのは社会構造の問題に主に起因するわけで、農家に罪があると一概に言えません。ブログ程度の場で云々する話ではないでしょう。
が、
家庭ユース、家屋や周辺に使用するのは今すぐ止めるべきです。
除草剤がどういうものかは調べれば分かることです。調べましょう。
ではそもそも何故そんなに除草が必要なのでしょうか。
たしかに家屋の保全などに除草は必要ですが、私はよく思うこととしては
『なんでそんな草が嫌いなの??』
ということです。
そんなに目の敵にすることもなかろうに、と思うのです。
その敵対心というか敵意が怖いです。殊に老人ともなれば丸くもなろうに何故草だけは許せないのか?一方で庭木、盆栽、花や野菜は愛でているのがまた余計に怖いです。
草一本生えていないのが『綺麗』だと思うそのメンタリティが理解できません。これには日本人的な几帳面さとか勤勉さが裏目に出てる部分が多いと思いますが。
その辺にちょろっと草があるくらいで家屋は傷まないし虫が来るのが嫌だからといって除草剤を撒きまくるのは止した方がいいです。
草刈りがしんどいなら根こそぎ取らなくても適度な高さに刈っておけばいいでしょう。管理しやすい雑草が生える環境を作る手立てもあります。
除草剤でインスタントに事を済ませても、雑草はすぐ生えてきます。しかも草によっては除草剤耐性も付いたりします。そういう厄介な草ばかり生える環境を作る結果になります。地表の環境はどんどん死んでいきます。そうして毒物の溜まった土地を宅地や畑にすれば、利用する人に悪影響が起こるのは明らかです。
「雑草の種が飛んでくる」から草刈りをしろ、或はそれでよそ様に迷惑がかかるから草刈りする、これらもよく聞かれます。
隣接地がたとえアスファルトで固められていても、草は絶対に生えます。
こういう『言い草』は封建時代に民百姓が結束しないように仕付けられた名残だと思います。まったくもって…………くだらない足の引っ張り合いです。
要は労力も環境負荷も少ない『適度な雑草管理』をすればいいのですが、それよりも無意識に刷り込まれた思考の癖について考え直すのが第一でしょう。それこそ根こそぎにすべきものです。
草嫌いは農業における考え方とも密接に繋がっていると思います。また回を改めますが。
草や虫や小動物、微生物、それらを認め、共生するということができない限り世の中の戦争だって終わらんだろう、と思いますね。
農薬不使用 マコモ茶
無農薬、と書くとそれにも問題あったりするわけで。
自分ら素人には関係無いと言えばそうですが、商品にして無農薬を謳うにはそれなりの申請・許可そしてマニーが要るわけです。
自分はそういう認定は取るつもりはありません。とある有名な環境保全型農業の実践者も「そんなものは取るな」とおっしゃってました。農薬・化学肥料は不使用なのがアタリマエだと。
ついでに書くと除草剤がスーパーや100均で売られているのを見て海外の人は驚くそう。自分の居住地周りでも住宅や周りに気軽にジャンジャン撒かれてますね。南無阿弥陀仏。庶民はいつも犠牲です。私達庶民側がもっと「知る」ことが大事です。何故パン食が広まったか、何故除草剤販売が広まったか、そういう事の後ろには理由がある。除草剤に関しては私達の健康にダイレクトに影響するのだから、それが一体どういうものなのかちゃんと知るべきです。意識のある人なら飲む薬のことをちゃんと調べるでしょう。それと一緒です。
本題はマコモ茶でした。
マコモダケができる前の葉を使ったほうが味は美味しいですね。せっせと作っています。しめ縄用にも陰干し中です。
茶の出し殻は入浴剤に、風呂や排水口のヌメリ取りに、発酵肥料の材料に。
ちなみに水田の取水口付近で栽培中。その浄化作用を信じてそうしてます。周辺の稲は元気ですがこれはマコモのおかげだけではないでしょう。
黒穂菌に感染してない株がもし出ればワイルドライスを採取したいですが未だ出ず。湛水田に蒔いておいたワイルドライスも発芽せず。
マコモは隣によそ様の田んぼがある場合お勧めしません。冬に耕耘しても根が残ると翌年に畦でもなんでも突き破って新しい株が広がります。
トウモロコシ(原種に近い?まだらな色の実がつくもの)に黒穂菌を感染させようとした試みの結果、真っ黒な実(粒)ばかりになった株がありましたが、作ろうとした『トウモロコシのおばけ』はできず。メキシコの方に見せたかったのですが。