猫ヶ洞ぽけっとマルシェ9月
愛の古戦場汁
仲間が料理の試作に使うために黒米モチ粉を練ってくれました。
それをスープに入れるのです。火縄銃の弾丸をイメージしています。
長久手(長湫)とワーテルロー、共に「湿地」の意味を含みます。
地下水位が高いと地表の様相も異なります。人間も例外ではありません。
水が停滞している場所は戦場になりやすいと言える「かも」しれません。
しかし今や住みたい街ランキングでは一、二を争う人気ですよ。
最前線でもあるわけです。
小麦の全粒粉(無農薬、無化学肥料、動物性肥料不使用、手刈り、手動脱穀、天日干し)と燕麦(オーツ麦、オートミール)の全粒粉を差し上げたパン屋さんから美味しいパンをお礼に頂きました。
田畑の仲間のカレー屋さんにカレーを頂きました。
こういうので成り立ったらいいと思うのですがどうでしょうかね?
台風を恐れ玉葱の種蒔きはまだ始めず。
稲は今のウチのは倒れることはないだろう。例年通り頑張ってくれるだろう。
アシナガバチは一群が戻ってきたが既に私が危険な場所に在った巣を撤去してしまってため右往左往している。餌場を失ったスズメバチも同じく。
悪いが洗濯物を干すのに危険な場所だったので撤去させてもらった。
庭の地面に巣を作るのも止めてほしいなあ。草刈りができやしない。
アシナガバチ消える
九月頭だというにアシナガバチの中〜大の大きさの巣いくつかが空になった。
十月頃に越冬準備に入るものだと思っていたけれど。あれ?毎年こうだったっけ?
早くないか?
今日は訳有ってオオスズメバチを殺しに行かなければならない。巣の駆除でもないので業者に頼むことではない。できる限りの防護とポイズンリムーバーと保険証携行。だんだん刺された時の症状が悪化しているので用心する。
空き家の草刈りもする予定だがこれも怖い。蜂の巣をつつく恐れは大きい。草刈り機使用中は羽音も聞こえず、長物を持っているので身体の動きも悪い。
玉葱の種蒔きもする予定。こればかりは丁寧にやるが蚊にまとわりつかれることは必至。
蜂より断然蚊が嫌いだ。
全く殺生しない人は蚊さえも潰さないが私にはまだ無理だ。
飛んでくるヤツをレーザー照射で撃ち落とす機械でもあれば買ってしまうだろうなあ。
誰かの不利益になるから開発されないだろうが。
実り
実りの時期を迎えた稲達が朝露に濡れ、太陽の光を浴びてキラキラと光っています。
なんと素晴らしい眺めでしょう。
これを眺めるには都会生活時に「自分の時間」と呼んでいたものを捨てなければなりませんでした。
そうして良かったとつくづく思います。
今は「やりたいことが何も無い」と言うとネガティブに聞こえますが、満ち足りているということでしょうか。
かつて自分が「やりたかったこと」は突き詰めて考えると「我欲」だったなと思います。
起きて半畳寝て一畳死んでしまえば所詮一握りの灰
だもの
つとむ
自分を滅して米野菜ができる自然のハタラキの中で過ごし、その時々で美しい光景と味わいに出会う、他に何が要りましょうか。
と私なんぞは思います。
私の中に残る今朝の田んぼの印象は、この一日をどれほど豊かにしてくれることか。
ああ、いい気分だ。
自然農 長久手ver. 自給農 田んぼアート
円くイネを植えている正方形の田んぼがあります。何故そんなことをしているかというと面白いし美しいと思うからです。
今年は真ん中に赤米を植えてみました。穂が出てくるとそこだけ赤くなるので、田んぼの中心に赤い円ができています。5月末の田植から8月末の今までその赤い円の出現を楽しみに待っていました。
田植の時に出来上がりを想像して植えるのですが、赤米の苗を育てるのに失敗したせいで欠株が出て、赤い円はあまり綺麗には出来上がりませんでした。そこへいくとあのいわゆる田んぼアートの精密さには驚きますね。
私は田畑全体の造作がアートだと思って取り組んでいます。私自身はアートというコトバは使わないのですが、見ていて楽しい場所になるように心がけている、という感じでしょうか。そのためには動植物に生き生きとしてて欲しいので、先ずは作物がのびのび育っている環境になるよう手入れ手助けしたいと思っています。それは多分まだまだ先のことですが自然のチカラが起こす変化の過程を見ているのも非常に面白いことです。
不耕起で苗代を作った田んぼで今年起こった出来事。
昨年作付けした品種が自然発芽した苗が多く、知らずに今年の品種と一緒に植えていました。昨年の品種はもう穂を垂れていますが今年の品種は開花中。田んぼはまだらになっています。「上から見たら何か描いてあるの?」と思う人も居るかも(笑)。
もう少ししたら田んぼに入って昨年の品種だけを刈り取らないと、今年の黒米に混ざってしまいます。一人が土手の上から田んぼの中の人に向かって「もうちょっと右にあるよ!」とか指示しながらやるのかな。ちょっと面白いな。
自然農 長久手ver. 自給農 ユリネ
少し前の記事中のユリネ。
昨夏地上部が暑さで全部枯れ収穫も再植え付けもしなかったらこうなった。
大きな塊が三つ見えるが一昨年はこれらは元々それぞれ手に乗せた一個くらいの大きさのものだった。
これらを今年はバラして別の畑に植え替える。手に乗せたくらいの大きさのものは2つに切り分けても良い。
ちなみに、これらは元々食用のユリネを購入したものである。野ユリには有毒なものもあるようなので注意が必要だそう。
ワタシがあまり写真を載せないのは疑似体験のような感覚を持ってもらうのを防ぐためです。このカソウ世界で眺めることと本当に「知る」ことは別物だと思います。
ヒフミヨイ農園は実際に田畑を一緒にやれる人を求めています。
また、写真とかイメージには良い面もありますが、思考力、想像力の欠如を生むこともあると思います。
「分かりやすい」ことは時に「安易な理解」にも繫がりかねないと思います。
難しそうなことは放り投げられる傾向があります。「私には難しい」と言って理解を諦めるケースは非常に多いと思います。
もちろん頭の良い人は物事をシンプルに説明できるし、真実というものは根本的にはシンプルであると思います。
が、「難しいことはよくワカンナイ」の結果がこの茶番みたいな社会と世界的な幼児化に繫がっていると思います。
例えば私も原発問題に対して知ってはいましたが何も行動していませんでした。
そしてコトは起こってしまいました。
まさに後の祭り。
事故のせい、あるいは事故により象徴された「核」のせいで今生態系に起こっていることは非常に重大です。
それについて考えることは「難しい」し「楽しくない」です。
しかし問題を棚上げして日々の楽しいことを欲望の向くままに求めるのは私は止めました。
自分の無知のせい、行動しなかったせいで病気になって苦しみたくないですから。
自然物として生を全うしたいのです。生存本能が第一に働いていると感じます。それより優先するコトはありません。
誰かのせいで自然物たる自分の生のカタチを曲げられたくないし、そのことを知らないままで死にたくはないですね。
人類の罪は自分の罪として被りますが、何もせず何も知らず流されるまま弱って死んでいくこともない。
やれることはやってその上で天命を待つ、といったところでしょうかね。
自然農 長久手ver. 自給農 米危機その後
うるち米が無くなりそうなのでウチの黒米と交換してくださいという呼びかけには応え無しだったが20キロほどの籾がまだ有ったことが判明。新米収穫までそれで食いつなぐことができそうだ。
ここのところどうしていたかというとモチ米とジャスミンライス、黒米を混ぜて炊いて食べていた。これが癖になりそうなほど美味いし腹持ちが良い。
ウチで作っているモチ米は籾が赤い古代米なのだが今年は出来が良さそうだ。
いや、まだ分からないか。今は開花中だ。背丈は1メートルほどで分げつは多くはない。
今日は昨日の記事にある耕作放棄地だった畑の草刈り。チガヤを刈りまくった。ここに別の畑(これも放棄地)からユリネを移植しニンニクも定植しようと思ったが大雨になってその作業は止めた。
ちなみにニンニクも当地の気候では土中にずっと置いていても腐らない。
なので収穫せずニンニクを植えたままにするエリアを作るつもりでいる。ユリネとワケギも同じような場所を作るつもり。ワケギは数年植えたままにしておいても支障無かった。普通のワケギと赤ワケギの両方うまく育っている。
バラまいた人参はうまく発芽。雨の前に蒔くのがコツ。踏むだけで覆土無し。間引きは成長具合に応じて行う。間引きしない時もある。雑草にのまれて消えることで自然に間引かれる。残った強い個体を食べ、種用にも残す。その繰り返し。
簡単に書くが通常の栽培方法も学び実践した後にやっていることである。そして毎度言うが販売用の商品を作る方法とは違う。
例えばトマト。裂果防止の雨除けとかはしない。割れまくり(笑)。皮も硬い。私はそれでいい。美味しくてもこぼれ種が翌シーズンに出ないやつは忘れていく。
この場所に合っていて生命力の強いヤツ、そういうものだけ食べていればいいと思っている。だいたい野菜なんて南米原産のものが多いのだからそう頑張って作って食べることもなかろうにと個人的には思っている。
悪い書き方をすれば、スウィートなもんばっかり求めすぎじゃないの?と思う。フルーツみたいな野菜とかべつにええわ。個人的にはよくある甘いトウモロコシとか食べれたもんじゃないと思うけどな。
ウチではジャガイモの収穫時に、一個だけ残して埋め戻す。そうすればその芋が自分で良いと判断するトキに、春か秋かに芽を出す。種イモの貯蔵も買い足しも不要。春ジャガ秋ジャガの区別無くだいたいどれもできる。できなくてもまた次のトキに出る。ど連作である。病害はそう起こった覚えはない。できが悪ければ残念がるし良ければ喜ぶだけのこと。ただ観察は怠らない。
他のイモは種類により同じ方法でできる。残念ながら生姜は掘り上げないといけないし種生姜の貯蔵も気を使う。