自然農 長久手ver. 自給農 ユリネ
少し前の記事中のユリネ。
昨夏地上部が暑さで全部枯れ収穫も再植え付けもしなかったらこうなった。
大きな塊が三つ見えるが一昨年はこれらは元々それぞれ手に乗せた一個くらいの大きさのものだった。
これらを今年はバラして別の畑に植え替える。手に乗せたくらいの大きさのものは2つに切り分けても良い。
ちなみに、これらは元々食用のユリネを購入したものである。野ユリには有毒なものもあるようなので注意が必要だそう。
ワタシがあまり写真を載せないのは疑似体験のような感覚を持ってもらうのを防ぐためです。このカソウ世界で眺めることと本当に「知る」ことは別物だと思います。
ヒフミヨイ農園は実際に田畑を一緒にやれる人を求めています。
また、写真とかイメージには良い面もありますが、思考力、想像力の欠如を生むこともあると思います。
「分かりやすい」ことは時に「安易な理解」にも繫がりかねないと思います。
難しそうなことは放り投げられる傾向があります。「私には難しい」と言って理解を諦めるケースは非常に多いと思います。
もちろん頭の良い人は物事をシンプルに説明できるし、真実というものは根本的にはシンプルであると思います。
が、「難しいことはよくワカンナイ」の結果がこの茶番みたいな社会と世界的な幼児化に繫がっていると思います。
例えば私も原発問題に対して知ってはいましたが何も行動していませんでした。
そしてコトは起こってしまいました。
まさに後の祭り。
事故のせい、あるいは事故により象徴された「核」のせいで今生態系に起こっていることは非常に重大です。
それについて考えることは「難しい」し「楽しくない」です。
しかし問題を棚上げして日々の楽しいことを欲望の向くままに求めるのは私は止めました。
自分の無知のせい、行動しなかったせいで病気になって苦しみたくないですから。
自然物として生を全うしたいのです。生存本能が第一に働いていると感じます。それより優先するコトはありません。
誰かのせいで自然物たる自分の生のカタチを曲げられたくないし、そのことを知らないままで死にたくはないですね。
人類の罪は自分の罪として被りますが、何もせず何も知らず流されるまま弱って死んでいくこともない。
やれることはやってその上で天命を待つ、といったところでしょうかね。