自然農 長久手ver. 自給農 食卓

キュウリ苦瓜かりもりカボチャ、、ある日の食卓がほぼウリ科でちょっとテンション下がる。。。

 

「今日はアレが食べたい」

 

というのはウチでは無い。その時成るもの、有るものを食べるのデス。

 

それをいかに労せずして実現するか、そのために色々と努力している。

 

自然の恵を得られるように田畑を造作してゆく。間違えると自然にそっぽを向かれるが再チャレンジの機会はまた与えられる。

 

 

 

 

チガヤとセイタカアワダチソウヨモギに覆われた耕作放棄地がウチの畑の一つにある。トラクターを持っていくにはおっくうな距離にある。

 

草抑えに庭師さんの剪定ガラをどっさり積んで様子を見ている。そこに野菜を植え付けるとどうなるかと色々試している。乱暴なことは承知だが、実際やってみないと分からないことは多い。農業の常識はあまり当てにならないことは経験上分かっている。

 

外部から何かを持ち込むことは否とする自然農の考え方もあるが、この畑では良しとする。でないと何も野菜ができないような環境なのだ。この辺りはまったく厳しい場所だと思う。だから堆肥どっさり農業でないと成立しないのだろう。

 

剪定ガラの中でもタカキビ、里芋、ニンニク、小豆、ゴキネブリ(黒小豆)はかなり調子が良い。種の小さい野菜はさすがに試してもいないが。

 

 

カブトムシも多い(笑)。

 

 

昨年は里芋が全部枯れ、食べることができなかった。

 

できないからといって買うことはしない。できないことも自然の采配かもしれないと考えている。が同時に自分の読み違い、失敗であるとも考える。そして来年は同じ失敗は繰り返さないよう工夫する。「去年は食べれなかったもんなあ、今年は食べたいなあ」という思いが原動力となる。できなければ食べるのを我慢した方が、できた時の喜びも増す。

 

 

今年は牛蒡が美味い。ウリ科とナス科に飽きたので早朝から調理する。

 

ちなみに牛蒡も種をバラまいただけ。除草も施肥も無し。家族と仲間分くらいは十分採れる。

 

ただ畝間に生えたものは収穫に骨が折れる。。。。それも良しとする。

 

はみ出し者の姿に自分を重ねて見ることもある。

 

 

自然農 長久手ver. 自給農 秋野菜

昨年の秋冬野菜それぞれが今年の春に種を付け、自然にそこいらじゅうに散らばっている。

 

涼しくなったのでそろそろ雑草を根から抜き始めたが、雑草の中で芽吹いている野菜がたくさんある。

 

それらに注意しながら草取をするのは手間だが、種を蒔く仕事は省ける。種を買うこともしなくてよい。売るほどは採れないが自給用ならこれでよかろうと思う。

 

タマネギの苗代はしっかり草を取り耕す。タマネギだけは毎年種を買ってちゃんと苗作りするが他にいい手があるなら知りたいなあ。

 

ちなみに黒マルチは使わない。使えば楽だし野菜もよくできるのは知っている。省けるゴミは極力省きたい。

 

タマネギに草マルチをするかどうかは、数年に渡る検証の結果ウチでは使うことにする。昨年播種時に覆土の代わりに籾殻燻炭を使って好結果が出たが今年再度検証のつもり。

 

食用のタマネギの消費量が多くそろそろ尽きるので、極小玉のものを植え付けた。冬には食べ出があるほどには育つ。

 

ワケギも植えないと。当地では梅雨も冬期も越せるので来年以降は掘り上げるのは手間なので止める。

 

 

というように仕事を減らすと自給農はより楽になる。

 

 

 

自給グルメへの道

珍味、というとちょっと違うが昨日ユリネを掘ってみた。昨夏は途中で地上部が枯れ、収穫/再植え付けしなかった。

 

ニンニクと同じで案の定同じ場所に小さいものが沢山できていた。今年は場所を変えて再植え付けしようと思う。

 

スーパーに行けばすぐ買えるけど、大きくなるのに時間がかかるんですよ。いただく時は本当にありがたい気持ちになります。

 

が、なぜか今回のは苦い。時期のせいか環境のせいなのか。。

 

 

 

そのユリネを植えてる畑は、耕作放棄地でけっこう過酷な環境。どうにもならんなあと思いつつも耕起せず実験/観察していましたが、6、7年目になる今年にようやく雑草の植生が変ってきました。ギシギシは抜く気にもならないくらい多くアワダチソウもイネ科の雑草もジャンジャン生えますが、そこかしこにクローバーの繁茂エリアが出てきました。

 

そこは元の果樹畑を区画整理した上に適当に客土された場所のようで、しかも斜面の一番下、その上は多量に動物性堆肥を使う農家ばかりという環境。そして水の停滞した排水溝も近い。大雨でも降ろうものなら堆肥から滲んだ茶色い液体がどっさり流れ落ちてきて、自生しているミントがほぼ全滅したことがあります。コワいわ。

 

しかし思えば開墾当時無知だった私は大部分で野焼きをしおまけに穴を掘って炭焼きをしたことがあり、これも悪影響を及ぼしたと思われます。今ようやく回復してきたということでしょうか。

 

ちょっと前のブログにも書きましたが鉄製のものを排除してからはさらに変化があったように思えます。

 

ようやくそこに野菜の種を蒔く気になりました。

 

とまあこんな具合にノロノロぐずぐずと長期に渡って観察しながらそれぞれの畑が向いていく方向に沿って作付けしているわけです。そこにはどんな作物が向いているか、も試行錯誤しながら見極めていきます。

 

私は優秀な農夫ではないので、よくできるものを見付けてそれが自然に育ってくれるようにお膳立てする くらいが向いているかと思っています。

 

 

 

最終的に楽するためには長期的な辛抱と色々な努力は厭わない(笑)。

 

 

 

 

 

珍味

岐阜の酒(小左衛門)と岐阜のうるかで飲る。

 

言うこと無し。最高だ。

 

このうるか、かつて岐阜の山間部では野鳥のはらわたでも作っていたらしい。なるほどなあ。

 

 

 

黒穂菌をトウモロコシに感染させてみようと試みているがうまくいかない。去年できた真っ黒い種からできた今年のトウモロコシは何故か黄色い。これは元に使ったトウモロコシの色とも違う。黄色いトウモロコシを蒔いた覚えは無いのだが。。。

 

その株は背丈が3メートルを超え、4、5本の実がついている。株元につるありインゲンを蒔いてトウモロコシを支柱代わりにしてある。南米でこういうやり方をするらしく真似している。

 

そもそもこの試みはトウモロコシが黒穂菌に感染してできる「トウモロコシのおばけ」と言われる珍味ができないかと思いやってみている(実験というにはお粗末なやり方だが)。

 

 

かつては旅をしながら数々の珍味を海山に求めていたが、その多くは環境の悪化のせいで今は控えている。これが一番口惜しいことだ。

 

しかし発酵食品にはまだ望みがある。これからの農事にも菌は最重要だと個人的には思う。

 

菌や微生物に分解してもらわないと困る物質があまりに多くばらまかれている。

 

 

 

 

人の体重の何割かは菌や微生物らしいが、世の中は除菌ブーム。

 

自分を殺すことに繋がることを多くの人はやっている。

 

まあ、他でもそうか。除菌ブームはそれをよく表す象徴か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然農 長久手ver. 自給農 出穂

ム1(HP内map参照)のタイ米の変種と思われる稲に穂が出ている。

やはり形質の異なるものが出てきた。今のところ芒の有無が表れている。時期も昨年同様まばらで、出穂していない株も多い。



同じ田んぼのモチ稲(古代米)も出穂(8/17)。株は昨年より元気だ。これから芒と籾が赤くなる。一部は正月飾り用に早く刈り取るかもしれない。

モチ米の品種は不明。出どころは自然農の大先生の所。そういえばまた別の大先生、福岡さんの所から不思議な縁で頂いたハッピーヒルも別の田んぼで育っている。一昨年まで育てていたハッピーヒルと少し姿が違うように見える。元々何種類か有るようなので現在本家で育てられている種類はこれだということか。それが知れてまことに有り難いことだ。

将来の食糧危機を按じて福岡氏が育成固定したと言われているハッピーヒル、ウチでは作付けは止めようと思っていたら籾蒔きの時期にめぐってきた。これはウチでも殖やせということかと思い、籾を更新する程度には育てている。




食糧が無いという意味ではないにしろ、今は食糧難、食糧危機の時代と言ってよいのではないでしょうか。

食品が生産される現場を見てゾッとした、という話はなにも製造工場でのことに限られません。農業の現場ではぎょっとするような事実をよく見ます。


屋内にしろ屋外にしろ、「工場(またはそのような状況)」で作られるものを主に食べているのが私達の現状と言えるでしょう。

苛酷な環境下での畜産について考えるとイメージしやすいかもしれません。狭い檻に並べられたニワトリ達は人間の食べ物として工場生産されているようなものではないでしょうか?

医薬品入りの配合飼料を与えられ、雌は無精卵をハイペースで産まされ続け雄は繁殖のためと人間に食われるために生きている。

人間の個々の事情は置いといて(←コレ大事)、

「そもそも」これは真っ当でしょうか?ちょっとやり過ぎてませんか?あまりに優しさが無いのではないでしょうか?

結果どうなっていますか?食肉に残る薬剤や疫病などの問題が私達人間それぞれに悪影響を与えてしまっています。


やったことは返ってくるというか、やってることは自分にもやられているというか、

狭い所で均質になるよう人為的に生産されている家畜達も、整列して生産される種を付けない品種改良や遺伝子改良(「良」かどうかは今は置きます)された米野菜も、

私達の姿の写しだと思いますよ。

動植物は何も知らない、考えないと思って私達は彼らのイノチを扱っています。これは縮尺を変えても言えることです。私達もまたそのように扱われているがそのことに気付いていない。(こう書くとアレルギー的反応を起こす人が居るので続きは現実世界で)


私達が食料としてしか見ていない他者のイノチ、これに対する態度を変えれば私達個人それぞれ、そしてその集合である社会は今よりは正常化するでしょう。これは決して飛躍した考えではないと思います。食べ物を変えると身体は変わり、身体が変われば頭から出る考えも変わります。


悪い言葉で単刀直入に言うなら、

「ロクなもん食ってないからロクでもないことばっかり起こる」

ってコトではないでしょうか?



贅沢や好き嫌いを言わず、なるべく近くで採れるものを季節毎に、自然の恵みに感謝していただく、

偉い人は昔からそう言ってます。

それができないのが人間だ、と言っていられる余裕はもう無い時代だと思うのですが。「2人に1人が癌」の時代は私達のやってきたことの結果以外の何物でもないと思うのですが。それでもまだ変わらずいても、誰にとっても良いことにはならないでしょうに。




膨大な選択肢の中から正食を選ぶのは大変な困難であるという意味でも現代日本は食糧難の時代かもしれません。



で、私の場合シンプルに済ませるため食料はなるべく自分で作ることにしました。

カソウ世界でぼやくのも政治家頼みにするのも自分の趣味ではないので。

 


(続く)

自然農 長久手ver. 自給農

#1

 

ここは都市部へのアクセスが良く、自給生活を段階的に築くにはちょうど良い。都会の繫がりの中で生きていた人間にとって、いきなり都会との関係を断つと生活に何かと困難が生じる。また都市部からこちらへ来てもらうのにも近い方が良い。

 

 

 

 

#2

 

ここは住みやすい/住みたいランキング最上位になったりする場所ですが、私のような少数派の中の少数派にとってはそうではなくむしろその真逆であったりするのです。

 

意地悪な言い方をするとここは今まさに浸食されつつある農村地帯、最前線なわけで、そこに多数派の人達は住みたいと思っているわけです。私の場合はここにご縁を頂いたのは成り行き上のことでしたが。

 

私は#1の様に思いここに留まっていますが、同じもしくは似た考えを持つ人物にここではまだ出会っていません。その気になればここでは食料の自給ができますが、農家さん以外の実践者には会ったことはありません。どうしてやらないの?と少数派の私には不思議でなりません。健康と安全な食と楽しい暮らしが得られるのになぜやらないの?と単純に思うのです。

 

他に尊重している/せざるを得ないものが有る場合も多いのは理解していますが、そこは「協力」することができれば解決できるはずです。おそらく一番難しいことはそれです。私自身も何度となく協力し合う試みに失敗しています。

 

 

 

 

(余談1)

 

人にはそれぞれ個性があって、皆それを認め合うべきだ。さらに他の生き物に対してもそう思うべきだ、と言いつつ何かとランク付けしているのが私達の実際やっていることの一つです。

 

このカソウ空間で好意的に見られるにはネガティブなことは書かないようにするのがマナーの一つのようですが、ポジティブに、前向きに生きようとするならば今在る問題を問うべきだと私自身は思います。でないと推進力は持てないのではないでしょうか。

 

 

 

#3

 

自給自足型、物々交換 型の共同体が最も理想的だということは昔から言われている。

このご時世ではそれが自衛のために最良だと言う人もある。私なぞはそれに全く賛同する立場である。今の住居は高台に在りいざという時の水源や食料、燃料も確保しやすいという条件で決めた。ここは地下水位が高いため、そのことによる私の肉体への影響も住居を決める上で考慮した。敷地内には数百キロの備長炭が埋めてあり、環境は良好に変化した。

 

自給自足型、物々交換型の共同体は世界規模で増えていると思う。一方その真逆の世界も飽和を迎えそうに見える。後者はエントロピーの増大としか見えないが。

 

 

散文。