ある小農の独白

アレな人のブログだと思われてはイカンので追記しときます。

 

その時々の自然のメグミで生きているのでわりと健全かと思われる自分としては、誤解は避けておきたいところであります。

 

いわゆる陰謀論と茶化されている物事はさておいて、

 

昔の人より今の自分達の方が「性能が劣っている」ことは誰しも納得できることだと思うんですよね。「動物」として。それを助長しているテクノロジーをどう使うか、もしくは「使われるか」という問題もさておいて。ちなみに昔中国の偉い人のお話でこんなのがありました。ちょっとうろ覚え。

 

ある村に井戸ができた時、村人達は遠くの川から桶で水を汲んでくるのを止め、便利な井戸(水を地下から汲み出す道具)を使い始めました。

 

そんな中、以前と同様に川まで水を汲みに行っていた老人はその理由を聞かれ、

 

「いずれ人が道具に使われるようになるからだ」

 

と答えたそう。

 

 

 

もう一歩話が逸れますがこの使う/使われる問題についてはたしか同じ中国の禅僧のお話で、高僧が弟子に向かって「お前達は時間に使われているが私は時間を使っている」というようなコトを言ったというのがあったような気がします。

 

あちなみにもう一歩話を逸らすと禅を含め仏教は現在の中国経由でインドから日本まで伝わったそうですが今の中国では仏教は日本やタイなどの現状と比べるとどちらかというとマイナーな宗教なのではないかと。

 

 

で話を戻すとですね、昔より人間が不健康になっていることは確かでしょう、という話です。

 

 

つまり今の自分が動物としてはポンコツなのではないか、これを少しでもモトに戻すにはどうするか、という話です。

 

モトの状態は今の「社会的人格」の枠からはきっと外れているでしょう。

 

むしろその真逆の状態こそがモトの状態かもしれません。

 

 

 

少し飛躍しますが一度マトモにならないと次のステップも踏めないような気がします。

 

 

 

マトモになるにはマトモな考え方をしなければなりません。そうしたら考えが出て来るところの「自分」をマトモにせねばならないでしょう。

 

今の私達が考える「マトモ」はその時々により変わるものです。そうではないモノはどこにあるかと言うと、自然の中にあります。

 

そこにはその時々において「必要なもの」しか生まれません。

 

(※より大きな目で見るとテクノロジーの進歩の産物も必要なものですが)

 

そこで生まれるものを先ず自分の食としよう、そうすればきっと自分は本来の状態、マトモな状態に近づけるだろう、

 

 

そこからの本当のスタートだろう、

 

 

と思っているのですが。まだまだ道のりは遠いです。

 

 

 

 

 

 

前回「殺されますよ」って書きましたが、人間の悪意による場合でさえ天然界の淘汰とも言えなくはない、と思うんですよね。

 

動物としては生き残るためには全ての兆しをキャッチしなきゃいけないワケでしょ。

 

そしたら余計に自然の近くでよく観察していなきゃ、というコトでもあり。

 

少なくとも私にはそう感じられるので徐々に生活を変えて今こうしています。

 

 

 

サケに酔ってるので加筆訂正するかもしれません。突然終わり。

 

 

追記

 

 

FP「宙」の原稿を描いてたら猫が急に何かを察知して鳴きながらウロウロしていました。

 

そこにもきっとワケがある。