自然農 長久手ver. 自給農 出穂
ム1(HP内map参照)のタイ米の変種と思われる稲に穂が出ている。
やはり形質の異なるものが出てきた。今のところ芒の有無が表れている。時期も昨年同様まばらで、出穂していない株も多い。
同じ田んぼのモチ稲(古代米)も出穂(8/17)。株は昨年より元気だ。これから芒と籾が赤くなる。一部は正月飾り用に早く刈り取るかもしれない。
モチ米の品種は不明。出どころは自然農の大先生の所。そういえばまた別の大先生、福岡さんの所から不思議な縁で頂いたハッピーヒルも別の田んぼで育っている。一昨年まで育てていたハッピーヒルと少し姿が違うように見える。元々何種類か有るようなので現在本家で育てられている種類はこれだということか。それが知れてまことに有り難いことだ。
将来の食糧危機を按じて福岡氏が育成固定したと言われているハッピーヒル、ウチでは作付けは止めようと思っていたら籾蒔きの時期にめぐってきた。これはウチでも殖やせということかと思い、籾を更新する程度には育てている。
食糧が無いという意味ではないにしろ、今は食糧難、食糧危機の時代と言ってよいのではないでしょうか。
食品が生産される現場を見てゾッとした、という話はなにも製造工場でのことに限られません。農業の現場ではぎょっとするような事実をよく見ます。
屋内にしろ屋外にしろ、「工場(またはそのような状況)」で作られるものを主に食べているのが私達の現状と言えるでしょう。
苛酷な環境下での畜産について考えるとイメージしやすいかもしれません。狭い檻に並べられたニワトリ達は人間の食べ物として工場生産されているようなものではないでしょうか?
医薬品入りの配合飼料を与えられ、雌は無精卵をハイペースで産まされ続け雄は繁殖のためと人間に食われるために生きている。
人間の個々の事情は置いといて(←コレ大事)、
「そもそも」これは真っ当でしょうか?ちょっとやり過ぎてませんか?あまりに優しさが無いのではないでしょうか?
結果どうなっていますか?食肉に残る薬剤や疫病などの問題が私達人間それぞれに悪影響を与えてしまっています。
やったことは返ってくるというか、やってることは自分にもやられているというか、
狭い所で均質になるよう人為的に生産されている家畜達も、整列して生産される種を付けない品種改良や遺伝子改良(「良」かどうかは今は置きます)された米野菜も、
私達の姿の写しだと思いますよ。
動植物は何も知らない、考えないと思って私達は彼らのイノチを扱っています。これは縮尺を変えても言えることです。私達もまたそのように扱われているがそのことに気付いていない。(こう書くとアレルギー的反応を起こす人が居るので続きは現実世界で)
私達が食料としてしか見ていない他者のイノチ、これに対する態度を変えれば私達個人それぞれ、そしてその集合である社会は今よりは正常化するでしょう。これは決して飛躍した考えではないと思います。食べ物を変えると身体は変わり、身体が変われば頭から出る考えも変わります。
悪い言葉で単刀直入に言うなら、
「ロクなもん食ってないからロクでもないことばっかり起こる」
ってコトではないでしょうか?
贅沢や好き嫌いを言わず、なるべく近くで採れるものを季節毎に、自然の恵みに感謝していただく、
偉い人は昔からそう言ってます。
それができないのが人間だ、と言っていられる余裕はもう無い時代だと思うのですが。「2人に1人が癌」の時代は私達のやってきたことの結果以外の何物でもないと思うのですが。それでもまだ変わらずいても、誰にとっても良いことにはならないでしょうに。
膨大な選択肢の中から正食を選ぶのは大変な困難であるという意味でも現代日本は食糧難の時代かもしれません。
で、私の場合シンプルに済ませるため食料はなるべく自分で作ることにしました。
カソウ世界でぼやくのも政治家頼みにするのも自分の趣味ではないので。
(続く)