除草除草除草
コ-ヒ-に採れたての蜂蜜を溶かし、スコッチ、氷を順に入れ飲む一日の終わり。
朝から午後3時まで田んぼの除草。三角スキ(畑地の除草に使われるアレ。自分では田んぼでしか使わない)で手前から溝を切り、反す刀で泥でコナギを埋める。中耕も兼ねるのではと考えて試している。
それとチェーン除草。これは三角スキなどによる除草に入るまでの時間稼ぎ。チェーン除草器の改良は怠慢によりまだ。先の冬は小屋作りばかりして遊んでいた。除草は50メートルロープで除草器を畦から引っ張る。歩くのとは違い上半身への負担は重い。電動リ-ル欲しいなあ。。
夕方からは麦各種とコリアンダーシードの脱穀したりゴミを取り除いたり。
養蜂は搾取になるからやらないという意見もたしかに分かる。
自分は今のところ、合鴨農法は心情的にできないが(経験はある)、という辺りの境界に居る。
脱米食?
個人とか個性とかことさら主張する割に皆右へ倣えで米を止めるのは不思議ですね。
しかしこの先には意外な展開もあったりして。
食べるということ自体から人は遠のきつつあるのかも。
ハイブリッド米とかゲノム編集米とかそういうのは食べない方がいいだろうし、その意味では米止めた方が調子いいのかも。
ウチでは時々黒米のみで炊いて食べます。餅米の玄米ということになります。
それ食べて身体動かしてれば調子もいいし太ることはあり得ないですね。
今やってる田んぼの除草はいわば足に負荷をかけつつバランスを取りながら歩く運動です。
アスファルトに足を打ちつけながらジョグしている(おそらく)痩せようとしている人達がよく横を通っていきますが、
「こっちやれば身体痛めずに痩せるし食べ物もできるのに」
とよく思います。
奇跡と革命
字義通りではなく暗喩です。そして通常の言葉の範囲内ではどちらも求めていません。
もっとすごい転換に向かっているような気がします。
しかし、種の自家増殖禁止が実際化したら一体どうなるのでしょう。
素人の米作り
昨日円形田植を終え、田植の残りはやっと1反を切った。
今年はどの田も今の時期は雨水だけ、しかも水は溜めずに置いている。
ウチでは悩ましい雑草はあとはコナギだけなのだが、深水よりも水が無い方がいいのではないかと思ってそうしてみた。全部湿田であるし稲には本来そう水は要らないという話もあるし。田植したばかりで深水にするにも限界があり、どのみちコナギは出てしまう。
実際水をはってない田の稲の苗の方が元気だ。
除草はチェーンを止めて今は三角ホーで。小さいコナギは株間条間に溝を切りながら埋めている。
小規模ならチェーンを引く方が手除草よりも重労働になることもあるし、縦横にチェーンをかけてもどうしても残るように思えるので。
なので今年は今の涼しい内は手(ホーや竹箒も)除草。
機械による田植を一日一枚にしたのは正解。除草も順にすれば良い。
以前に素人には不耕起の冬期湛水が良いのではないかと書いたが、無効分げつは増えるように思う(ウチの場合)。
目標は不耕起無除草米麦連作、農業機械不使用だが。
10数年ぶりにわら一本の革命を読み返し、自分が農「業」ズレしていたことを反省。
小手先の農業技術を学びすぎた。それは本来素人には必要ない。
私が望むのは奇跡ではなく革命だ。
猫ヶ洞ぽけっとマルシェ6/22
食べ物はなんやかんやとあるので、ベジというわけではないが肉はあまり食べない。
わざわざ出かけていく魚釣りも止めたし豚コレという怪しい病気のせいでジビエ肉も回ってこない。
がこの疲れた身体には必要かと思い蛇をシメた。
智慧の象徴だとも思っているので躊躇したが祈りにも似た神聖な心持ちで屠った。
普段外食時にいかに無関心で肉食しているか改めて知った。
ちなみに捕ってすぐ捌いて酒とニンニク(堀り上げたものがたまたまあった)に漬け、帰宅後蒲焼き風にした。魚肉と何ら変わりない。大物だったので骨が硬かったが、全部食べたいので煮込んでいる。
毒蛇やキノコ類の採取、調理は細心の注意をもって自己責任で行いましょう。