NOと言うための農


先日市内で「NOと言うための農」と題して人前で話す機会をいただきました。

素人の私が農業についてあまり語れることも無いので、「何故私は食料自給するか」という点を中心に自分自身の経験を話し、また米と野菜を持参してスタッフの方々に調理してもらい、参加者の皆さんに食べてもらいました。

さてその「何故私は食料自給するか」なのですが、当日のト-クでも話したのは「先ず単純に今の自分の直感/カンでこうしている」という事です。なので伝えたいある「考え方」とかではないわけなのです。もちろん合理的と思われる理由も沢山ありますが何より先にカンによって自給生活に向かっているということなのです。


農は生きるために必要な技術のひとつとして捉えています。私達のような素人の集まりでも自給分程度の収穫はできています。

(ただし、今日はアレが食べたい明日はコレが食べたいという都会型生活風の食べ方はできません。消費者的ワガママは言えません)


最低でも自給分さえ賄えれば良いので、環境への負荷も少なく持続が可能なカタチの農を実践しやすいです。これはプロアマ問わず小農の利点だと私は思います。


さて生物としての「カン」は先ず生存のために働くものであると思うのですが、もし私のカンが真っ当に働いているならば私は今自分の生存のためにこうやって農的生活を最優先しているということになると思います。

そして「私」が頭で考えるところの、「ワタシはいかに生きるべきか」という問いに対する答、それもまた農的生活の実践、であります。


実際にはそうすると、自分の場合は「農業」にはまだ成っていませんし、これから成るのかも分かりません。するつもりもしないつもりもありません。


…というどうにもよく分からん話をしてきました。自分は未熟なので他人様に「こうしよう!」とか「こうすべきだ!」とかアレが悪いコレは善いとか言えませんので、自分のこと(しかもカンという非現代科学的なことが根拠というなんとも頼りなく思われるだろう話)を話しました。


とここまで下書きに一月ほど費やしている(何しろ毎日作業が多いので時間が無い)その間に話が上手な方の講演を聞きに行きました。 

色々勉強になりました。ありがたいことです。

色々すぎて今書けません。。。続く。。


…お風呂には毎回何らかの植物や煮汁を入れます。剪定した枇杷やロ-ズマリ-、レモングラス、月桂樹などなど。水と炭を使った実験も続けているのですがその効果もあいまってお風呂で毎回とろけています。何が言いたいかというと早く風呂に入って寝たいのであります。